田中義郎の経営教室

5年後 ①格差社会から分断社会へ

2017年2月13日

 右肩上がりの時代は、いつも未来を見ていた。
 未来に光り輝くものがあった。夢もあった。
 今、未来を見つめる人が激減している。
 未来が不透明になり見たくても見えない、だから未来より今を大切にする。こんな風潮がいつの間に定着してしまったのだろうか。
 しかし、時は流れている。刻一刻と変化している。未来は確実にやってくる。たとえ不透明でも、不透明の向こうに広がる世界は、いずれわれわれに深くかかわってくる。不透明でも未来を見極め、変化に対する備えを怠らない姿勢が必要である。変化に対する備えができているかどうか。現状延長上に未来がないことは確かである。

格差社会の次に来る社会

 以下は日本経済新聞に掲載された2025年の日本である。
 特に目新しいことは書かれていないが、2025年を客観的に眺めるのと、当事者として受け止めるのでは、ずいぶん印象が変わる。特に当事者として、このような環境に身を置いたとき、多くの人が一抹の不安を感じるのではないかと思われる。

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 格差社会は、お金(かね)の格差から「知」の格差へ、そして、一強九弱時代が到来する。一強九弱とは、持続的な成長・発展を続ける個人や企業が約10%、残りの90%が衰退または自滅の道をたどるであろうという1つの仮説である。この仮説は近い将来、現実のものになる。

 参考までに1つの時代の流れ(イメージ)を我流で図に示してみた。

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 1億総中流時代から格差時代を迎えた。一強九弱時代を経て、「分断社会」が到来する。
 分断社会とは、一強と九弱が分断された社会であると、ここでは認識する。
 時代の変遷の中で、注目すべき点がいくつかある。1つは中流人口の減少と下流人口の急増、さらに「九弱人口」の固定化である。今1つは、自力で付加価値を産み出せない者(個人も企業も)や努力に関心がない者は、すべて九弱の仲間入りをし、いずれ再生不能な状況に陥っていくというシナリオだ。

 大企業は倒産しないという神話が崩壊して20年、以来、中小企業の減少に歯止めがかからない。また、民間以外の分野、例えば、補助金を主たる財源にしている機関などは、逼迫した財政下において、さまざまなリスクが予想される。今まで継続してきたから今後も安泰だという常識は消える。

 しかし、光も見える。自助努力である。頑張れば必ず報われる。自助努力は時代の変遷に関係なく普遍的に存在する「成功のルール」だ。過去‐現在‐未来は「時間」で繋がっている。過去から続けてきた自助努力を今後も継続すれば、確実に一強として発展を続けることができる。
 一方、自助努力を怠れば悲惨な未来になる。茨の道を覚悟しておかなければならない。
 分断社会になると、九弱から一強を目指す手がかりを失ってしまう。分断社会が到来するまでの間に、その手がかりを探っておかなければならない。チャンスはまだ十分残されている。

われわれの対応

 すべては「自覚」から始まる。自覚は、あらゆることを成し遂げる出発点である。
 一強九弱時代から分断社会に向かっているという自覚、自らの未来は自らが創り上げていかなければならないという自覚、仕事の質を高めるためには、知の蓄積が必要だという自覚、学習は人生の原点であるという自覚、学習は社会人のルーティンワークであるという自覚、そして、明るい未来は「自助努力」から生まれるという自覚。

 今までビジネスの分野において(特に中小企業の分野において)は、学習を軽視する傾向にあった。学習を軽視する文化が定着していた。この文化との決別なくして明るい未来は語れないだろう。
 具体的な対応策については次回述べる。

                                  (次回:5年後②~われわれの対応~)

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